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KOKO#4 心理カウンセラーが見たアイゼンバーン通り

Interview with Tobias

#4 心理カウンセラーが見たアイゼンバーン通り

Interview with Tobias

変わりゆくアイゼンバーン通りで、人々のライフストーリーや個人的な感情を通して街のダイナミズムを記録するニュースレター「KOKO」。人々の物語を集める過程で、「聴くこと」を仕事やライフワークにするこの街ゆかりの人たちに、社会の波に埋もれてしまいそうな言葉に耳を傾ける方法についても聞いた。

今回は、ライプツィヒ東部に長年住み、大学病院やザクセン州にあるアルコール・ドラッグ依存症患者の回復施設で心理カウンセラーとして働くトビアス・グフェッサーへのインタビューをお届けする。患者のさまざまな物語に日々耳を傾ける彼は、アイゼンバーン通りにあるフリースペースを「理想的なカウンセリング空間」に例える。

──私たちは、ライプツィヒ・アイゼンバーン通りに生きる人たちのさまざまな人生の物語を聴き集めるなかで、自分たちの「聴き手」としての役割について考えるようになりました。心理カウンセラーという職業は、まさに患者さんたちの物語を聴くプロフェッショナルだと思いますが、トビアスさんが心理カウンセラーになろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

大学で心理学を学ぶことにしたのは、正直なところ何となくで、直感で決めたという感じです。もともとデザインや音楽など、何かクリエイティブなことをしたいとも思っていたんですが、それを職業にすることに対しては確信が持てなくて。でも、ライプツィヒ大学で心理学を学んでいくなかで、心理カウンセラーというのは面白い仕事かもしれないと思うようになりました。

心理学の勉強を始めると、この学問が非常に幅広い分野をカバーしていることに気付き、最初に抱いていたような心理療法への興味を少し見失ってしまう時期もありました。でも、いろんな迷いや試行錯誤を経て、最終的には当初の目標であった心理カウンセラーになることに決めました。今では、その決断をして本当に良かったと思っています。

現在は、ライプツィヒの南東にある街の精神科病院の依存症病棟で働いています。うちの病院に来る患者さんの多くは、クリスタル・メス、コカイン、ヘロイン、大麻などの違法薬物やアルコールに依存しています。彼らにとって、薬物は辛い感情や思考を一時的に麻痺させるための手段です。依存症の根本的な要因に患者とともに向き合い、困難な感情や思考にどのように向き合っていけばいいのか、心理カウンセラーとして患者さんと一緒に考えるのが僕の仕事です。

──そもそも人は、どういうときに心理セラピーを必要とするのでしょうか?

人生がうまく行っている人は、セラピーを必要としませんよね。不安やトラウマを抱えたり感じたりすること自体は悪いことではないし人間にとって正常なこと。それが人生の障害になっていないのであれば、特に何もする必要はありません。でも、これらの不安やトラウマによって、その人の生活が著しく制限される場合は問題になります。

依存症治療の具体例を挙げると、大勢の人が集まるパーティーの場で緊張しやすいという人は少なくないですよね。そうした場面で、少量のアルコールを飲んでリラックスすることは特に問題ではない。しかし、「アルコールなしではパーティーに参加できない」と感じるようになると、これは治療を検討すべき状態です。依存症の背景には、つらい感情を抑え込むための手段として薬物やアルコールを使用する傾向があります。その結果、仕事を失ったり、パートナーとの関係が破綻したり、深刻な健康問題を引き起こしたりすることが少なくありません。

そんな場合にカウンセリングを受けることで、難しい感情とうまく付き合い、自分の人生を制限しないで済む方法を知ることができます。もちろんカウンセリングにもいろいろな種類があって、これらの不安やトラウマを消すことを目的にしたものもある。でも、僕が大切だと思うのは、それらの感情を受け入れて、恐怖やトラウマを抱えながらもその人が良い人生を送れるようにサポートすることです。

──トビアスさんは、具体的にどのようなカウンセリングを行っているのですか?

依存症の患者さん向けには、よくグループセラピーをやっています。テーマを何か一つ決めて、患者さん同士がそれについて議論し、僕はそのモデレーターをしたり、必要に応じて質問を投げかけたり。何か議論したいテーマはあるかと尋ねて、患者さんがトピックを提案することもあります。患者さんたちは、お互いが抱えている問題を共有することで自分自身の問題を見つめ直し、支え合いながら取り組んでいますね。

僕が行っているセラピーの形式の一つに、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)」があります。このアプローチでは、「苦痛を避ける」のではなく、「その苦痛を受け入れた上で、自分が大切にしたい人生の方向性に向かって行動すること」に重点を置きます。

依存症患者の場合、薬物をやめた後に初めて、「自分が家族や友人をどれほど傷つけてきたか」に気づくことがよくあります。そして、その気づきはしばしば深い絶望感を伴います。お酒を飲んで家族や友人を傷つけて失ってしまったこと、何かを盗んでしまったことなどを思い出して、自暴自棄になって、全てを忘れるために再び薬物に手を出してしまいます。自分の人生にとって大切なことは何か、何が重要だったのかが、自分を消費しすぎて分からなくなってしまうのです。そうした困難な感情や思考に自分で取り組む必要があり、それをサポートするのがACTのアプローチです。

 

──私たちがアイゼンバーン通りの人々にインタビューをするなかで感じたのは、「語る」というプロセス自体が、語り手と聴き手の共同作業であるということでした。心理カウンセラーの観点から、人々の物語を「聴く」とはどのような行為だと思いますか?

心理カウンセラーとしては、まずは患者さんが自分の問題について自分自身で話し始められるような空間を作ることがとても重要だと思います。つまり、彼らが自分に起きたことについて書いたり話したりするとき、その時点でその人の物語や思考は頭の中だけのものではなくなり、自分とその出来事との間にある距離が生まれます。いわば、思考がちょっとした自由を得ることができる。そしてそれを誰かに伝えたり、お互いの物語を共有し合うということも大切ですよね。

一方で、人は自分の物語に巻き込まれてしまうということもあります。例えば「自分は失敗作だ、自分はドラッグで全てを壊してしまった」と。その筋書きに囚われて、身動きが取れなくなってしまうんです。でも彼の人生は、別の物語として語ることもできる。自分の持っている感情は、自分を壊すようなものではない。泣いたり怒ったり悲しんだり、感情はやっかいな面もあるけれど、それは同時に、自分に足らないものが何か、自分にとって大切なものが何かを教えてくれるものでもある。だから僕が行っているセラピーでは、その人がその人の物語から少し距離を取れるようにすることも大事なポイントです。

──「物語との距離を取る」というのは面白い視点ですね。

例えばある患者さんが、家族や友人を裏切ってしまったことについて、恥ずかしい、悲しいという感情を持っていたとする。この感情は、彼にとっていいものではないし、不快かもしれない。そんな彼に対して、カウンセリングでは例えば「じゃあ、あなたから何が重要でなくなれば、この辛い感情を取り除けますか?」と聞きます。ちょっと変な質問ですよね。

患者さんは思いをめぐらせた結果、「自分にとって家族や友人が大切でなくなったら」、「がっかりさせてしまって辛い」「裏切ってしまって悲しい」という感情を持たなくて済む、ということに気づく。それは裏を返せば、患者さんが「家族や友人を大切に思っている」ということです。そのことに気づいてもらう、つまり患者さんにとっての難しい感情の機能を変化させるのです。感情を押し殺すのではなく、「薬物で自分が押し流しているのは辛い気持ちだけじゃないんだ」と、感情について違う理解を得ることがとても重要です。

──なるほど。私たちは、インタビューをする上で「物語を語ること」にフォーカスを当ててきましたが、実は「物語をほどく」作業もとても重要なんですね。では、そうした共同作業を可能にするために、心理カウンセラーは、患者さんとどのように関係性を築いていくのでしょうか?

最も重要なことは、患者さんとのつながりを持つことだと思います。相手が本当の意味で自分の話を聴いているかどうかということに、患者さんはとても敏感です。もしが患者の話を聞いている最中に別のことを考えていれば、それは患者にも伝わり、信頼関係が損なわれてしまいます。だからカウンセラーはセッション中、常に完全に「今ここ」にいる必要があります。

もちろんケースバイケースだけど、実際には、僕はカウンセリングであまり多くを語らないかもしれません。患者さんが自分の物語に深く入り込み、感情が動いているときは、ただそこにいて、しっかり耳を傾け、患者が自分自身の問題を整理するための空間を作ります。

彼らが僕に何を話すかということは、実はそこまで重要ではなくて、むしろ「どのように話しているか」ということを観察しています。どんな感じで自分の物語を語るのか、感情に没入して話しているか、それとも淡々と理屈っぽく語っているのか。痛みを伴う感情に向き合えているのか、それともそれをコントロールしようとしているのか。患者さんの語りが単なる思考の反芻に留まり、感情が動いていない場合は、何かしらの介入が必要になることもあります。

──物語への介入、ですか。

彼らを少し物語から引き離す。言い換えれば、僕らの役割は患者さんの感情にスペースを与えるということでもあるかな。例えば、患者さんが「娘との関係がとても悪い」と言ったとして、彼は考え込んで、続きを語るうちに感情が消えていく。あるいは話せば話すほど怒りが増していくか、延々と同じ思考を繰り返しているだけで、何の変化も生じていない。

そんなとき、僕は「ちょっと待ってみましょう。今、あなたはどんな気持ちですか?その怒りは体のどこで感じますか?どんな感覚ですか?」と語りを中断させることもあります。人は、頭の中で考えすぎると、自分の感情とのつながりを失ってしまうことがあります。だからこそ、感情がそこにあるのなら、それを抑え込まず、意識的に感じることが重要です。

ただし、患者さんがその準備ができているかどうかを見極めることも大切です。無理に感情を引き出そうとすると、逆に心を閉ざしてしまい、信頼関係が壊れることもあります。この「配慮」と「挑戦」のバランスを取ることこそが、心理療法の難しさであり、醍醐味でもあります。

──アイゼンバーン通りには、さまざまなフリースペースがあり、そこではさまざまな人種や国籍の人、問題を抱えている人もそうでない人も、ただ何となく一緒にいることができる雰囲気があると感じます。そうしたこれらの場所の不思議な魅力(魔力?)について、トビアスさんはどう思いますか?

僕は2018年からライプツィヒ東部に住んでいて、特にアイゼンバーン通りにある「日本の家(Das Japanische Haus)」というフリースペースに、最初は常連として、後には運営メンバーの一員として関わるようになりました。そこでの人々との対話を通じて、心理カウンセラーとしても多くのことを学んだと思います。

そもそも心理的な問題の多くは、家族や友人といった親しい人々に対して自分を十分に開示できず、「ありのままの自分が受け入れられていない」と感じることに起因しています。心理療法の中では、良好なカウンセラーとの関係が、患者にとって安心できる環境となり、同じような関係性を現実の生活でも築いていく手助けとなります。でも、セラピーは基本的に週に1回のセッションが一般的で、僕と患者さんという一対一の関係で会話をする。現実と比べるとすごく小さな枠組みで、実際の生活における「支え」としては限界があります。

アイゼンバーン通りや、この街のフリースペースで面白いなと思うのは、いろんな人種や国籍、文化、世代の人が集まっていて、自分とは違う生まれ育った環境や文化的背景の人、ちょっと変な人たちとかがごちゃまぜになっていること。でも、好んでそこに集まってくる人たちは、その集団に自分がすごく受け入れられていると感じることができるみたいです。

自分が受け入れられているという感覚を持つことは、カウンセリングにおいてもすごく重要なことだと思います。多くの人がありのままの自分を受け入れてくれる。別に面白いことが言えなくてもいいし、静かにしてても、うるさくしてても、どんな自分でもその空間にいられる。こういう空間をカウンセリングで作りだすことって、実は難しいことだったりするんですよね。そういう意味では、こうしたフリースペースはまさに「理想的なカウンセリング空間」だと思います。

──心理カウンセラーという「聴く」仕事には、どんな喜びや大変さがありますか? 

この仕事は自分にとって最高です。患者さんの人生がいい方向に変化しているのをまじかで見ることができる。新しい道を見つけて、新しいことを経験して、人生がポジティブに変化していく姿を見るのは、やっぱり大きな喜びです。

難しいなと感じるのは、長期間のセラピーを経ても、患者さんが何も感じていない、患者さんの中で何も起きていない時かな。どれだけ対話を重ねても、患者さんの心が動かない、ということはあります。あるいは、たくさん話をしてくれるけれど、「自分は不安をもっている」ということについては語っても「それがなぜなのか」ということについては入っていけない。

そういう場合は、カウンセリングを行うのがとても難しいと感じます。全ての患者さんは、その人なりの時間を必要とするし、患者さんとカウンセラーの相性ももちろんある。場合によっては、「この患者さんには別のカウンセラーの方が合うかもしれない」「今はまだ変化のタイミングではない」と判断することも必要です。だから僕自身、カウンセラーとして「自分は全ての人を救うことができる」と過信しないことも大事かなと思っています。

トビアス・グフェッサー Tobias Gfesser

心理カウンセラー。2010年に大学進学を機にライプツィヒに住み始める。2016年には留学プログラムで日本の慶應大学に1年間在籍。現在はザクセン州にある精神科クリニックで働いている。プライベートでは、琴を弾き、ボクシングに通い、ときどき80年代日本の楽曲でDJをする。